ドイツのシュヴァーベン地方に貴族の子弟として生まれたアルベルトゥスは、イタリアの
パドヴァ大学で哲学、自然科学、医学を学び、30歳のときにヨルダヌスにつき
ドミニコ会会員となりボローニャで神学を学んだ。
パリ大学や
ケルンのドミニコ会の学校など各地で神学と哲学の教鞭をとった他、教会行政にも手腕を発揮した。
1254年にドミニコ会のドイツ(テウトニカ)管区長に就任し、また
1259年にヴァレンシアの院長会議でトマス他とドミニコ会学校の修学規則を作成したほか、1261年から数年の間、
レーゲンスブルクの司教を務めた。晩年は主にケルンを中心とするドイツ各地で活動したが、
1274年には
第2リヨン公会議に出席した。またトマスの死後、
1277年パリにおいてトマスに異端の嫌疑を掛けられたときは、老境にあったアルベルトゥスはケルンからパリまで徒歩で旅行して、その弟子を弁護した。