主権国家体制(しゅけんこっかたいせい)とは、
中世における普遍的世界の崩壊にともなって
16世紀-
17世紀のヨーロッパで形成された
国家のあり方と
世界秩序のことである。各国の個別性および領域支配を前提とし、
ローマ教皇や
神聖ローマ皇帝ではなく、
君主ないし
共和国の
主権が最高で絶対な存在とされる。英仏間で戦われた
百年戦争およびドイツを舞台に繰り広げられた
三十年戦争を通じて形成され、両戦争によって
近代国家のかたちが整えられていった。これが1、2箇所で出現するのではなく、諸国家のシステムとしてヨーロッパ全域で成立した点が重要である。このシステムは、
18世紀-
19世紀を通じて世界的に拡大し、現代も基本的に踏襲されている世界政治システムである。
中世ヨーロッパ世界は、社会的、地理的には分散していながらも、
ローマ教会や
神聖ローマ帝国、そして
ラテン語という普遍性によって結びついていた。それは
カール大帝の時代までさかのぼるが、中世末からは国王権の確立、国境や
関税という考え方に現れる領域支配による個別国家の出現があいついだ。また、16世紀以降の
マルティン・ルター、
フルドリッヒ・ツヴィングリ、
ジャン・カルヴァンなどによる
宗教改革、そして
イングランド国教会などの成立などによってローマ教会とあいいいれない
教会および国家がそれぞれの個別性を主張し、おりからの
ルネサンスの人間中心主義の影響もあって、日常語としての
国語も確立してきた。また、
オスマン帝国の強盛は、
ハプスブルク家はじめヨーロッパ諸勢力による不断の外交交渉を余儀なくし、さらにドイツを荒廃の極に陥れた三十年戦争はヨーロッパ各国が参戦、介入することとなって、たがいに外交使節を交換して条件を明示しながら
和約や
同盟を結ぶ外交慣例をしだいに形成していった。三十年戦争後の
ヴェストファーレン条約では、
オランダ(ネーデルラント連邦共和国)と
スイス連邦の独立が認められ、各国の国家主権の独立、主権対等など現代
国際法の諸原則が生まれた。ここで確立した主権国家体制は、各主権国家が一定領域にたいして排他的に権力を行使し、そのことを互いに承認することによって成立した世界秩序であった。