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「大納言」||学校-master.com (05/26update)

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大納言(だいなごん)
#日本の古代律令制度化での官位の一つ。この項で詳しく説明する。
#植物名称の一つ。大納言(だいなごん)は、マメ科ササゲ属に属するアズキの一種。皮に独特の風味があり、煮込んで粒あんにすると柔らかな皮の食感が餡と調和するため高級和菓子で良く使われている。
#大阪市にある和菓子会社、株式会社大納言。「茜丸五色どらやき」で有名。→茜丸本舗大納言
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大納言(だいなごん・おほき-ものまをす-つかさ)は、朝廷組織の最高機関、太政官の職の一つで、左大臣右大臣内大臣に次ぐ官位で、四等官の中の次官(すけ)に相当する。唐名(漢風名称)は亜相(あしょう)・亜槐(あかい)。いずれも大臣(相、槐門)に亜(つ)ぐもの、の意味。「龍作の官」と呼ばれるのは書経に「龍、なんじ納言(言をいれる)を作(な)せ」とあるのによる。正三位相当官。
主な職掌は、大臣の仕事を補佐し朝議に加わりそれを施行することで、定員は始め4人であったが、705年中納言の復活と共に2人に減らされる。しかしながら平安時代に権大納言(大納言の権官で定数は3人。のちに増員)が置かれ、定員は実質増員されている。後世では多いときでは8人が任じられていたが、後鳥羽天皇の治世以降定員は6人と定められ、もっぱら権大納言のみが置かれて正官の大納言は置かれないというケースが増えてきている。道鏡政権下では大納言と同格の法臣が置かれ僧侶が任命された。
武家時代になっても高い官位が要求される職であったから大納言や権大納言に就任できた武家はほとんどおらず、ほぼ公家からのみで任命され続けた。江戸時代にも原則として公家しか就任できない役職であったが、例外的に武家のうち徳川一門(将軍世子および尾張家紀州家駿府徳川家(廃絶))は任じられることがあった。
明治維新朝廷の諸制度が大幅に改組され、大納言職も消滅したが、明治時代初期の政府機構再編の中で一時的に設置された時期があった。

◆ 大納言の一覧