属州には農作地にかけられた10分の1税などいくつかの税が課せられ、それらは属州内の自由市や自治市では各都市が、直轄地では徴税請負人(プブリカニ、publicani)が徴収を担当した。徴税請負人はしばしば総督と結託若しくは総督の名を騙り単独で属州民を搾取した。この他シキリアなどでは穀物の強制買い付けの制度も属州民の負担となっていた。
属州総督の地位は住民からの搾取により多大な利益を期待できるものであった。このため共和政中期から末期のローマでは多額の借金をしてコンスルに就任し、その後の属州統治の任で負債の返済だけでなく一財産を築くような者も少なくなかった。こうした属州総督の苛斂誅求に対して属州は総督の不正を
元老院に訴えることができた。当時
キケロを有名にしたウェッレスの弾劾もこうした不正追及の裁判であった。
属州からの富はローマに繁栄を与えた。共和政末期のローマでは属州総督の際に獲得する富と軍事的成功が中央での政治的資源となった。またシキリアやアフリカ、のちにはエジプトからの穀物はローマの巨大な人口を維持するためには必要不可欠なものであった。しかし流入する安価な穀物はイタリアの自作農民に打撃を与え、彼らの没落と政情の不安定化の原因の一つとなった。
帝政期に入ると属州はイタリアの商品の輸出先としてローマの経済を支えることになる。しかし
オリーブや
ブドウといった輸出商品の属州での生産が本格化するとイタリアは市場を失い経済的には没落していった。