高祖李淵が統一を果たして以後、優秀な人材の確保に努め、貞観の治のもう一人の立役者である杜如梅を見出し、太宗に推挙もおこなっている。建国間もない唐の王朝で
皇太子・
建成と世民の間で継承争いがおきると、房玄齢と杜如晦はその謀略の才を建成側に恐れられ、讒言を受けて秦王府への立ち入りを禁じられた。世民も建成に悟られないように策謀を進め、直前に二人に連絡を取り、玄武門の変を成功させて建成を殺して即位した。
中でも太宗が「創業と守文、どちらが難しいか?」(王朝を作るのと、それを守るのとどちらが難しいか)と問われたときの問答が有名である。房玄齢はこれに対して、「天下乱れ群雄競い起こる。攻め破りて降し、戦い勝ちて乃ち尅つ。此れに由りて言えば、草創を難しとなす」と答え、魏徴は守文が難しいと答えた逸話が有名である。