なお、東京に所在する
攻玉塾、
慶應義塾、
同人社を特にまとめて「明治の三大塾」「三大義塾」と称することもある。これも帝國教育会が大正から昭和初期に掛けてまとめた明治維新期の私塾に対する評価が基礎となっている。ただし、当初の帝國教育会では「帝都三大義塾」と称しており、それが大正期に入ると「明治帝國三大義塾」などと表記されるようになったという経緯がある。なお、
津田塾や
二松學舎などを攻玉塾や同人社と交換して「三大塾」と称する事例が散見されるが、帝國教育会がこれらを三大塾として扱った文献はない。