一般的には
サーカスにおいて
猛獣や動物を
見世物にする際に行なわれる訓練を指す。その調教を行なう人間を
調教師と呼ぶ。これは、衆人環視でも暴れないように人に馴れさせる(馴致)ことや人間の命令を聞くようにするために行なわれる。また人に馴れやすい
家畜の一部にも行なわれることがある。近年では
ウマ(
競馬の
競走馬、
馬術)、
ドッグショーにおける
犬、または
水族館の
アシカや
イルカショーの
曲芸などで行なわれている。また、
ペットの
犬が言うことを聞かない場合などに専門の調教(この場合
躾ということが多い)を行なうことがある。動物の意思と反することや手法の苛烈さ(たとえば競走馬の発馬調教において、ロープを用いて
発馬機にくくりつけたり
鞭で打ちつける手法が用いられる
[『吉田竜作の竜馬が来る』 大阪スポーツ 2007年10月7日])。例外的にイルカや
シャチに関しては芸を自ら楽しんで行なう為
[イルカショーはイルカの飼育環境内での単調になる生活に逆に刺激を与える効果があり、むしろ動物福祉でいうところのエンリッチメントであるという見解もある。『イルカ』中央公論新社、村山司、2009年 178-179頁]、調教の際に苛烈な罰を与える事はない(褒美の餌の量や与え方で躾をしている)。これらの動物の処遇に関して
動物虐待と指摘する向きもある。
もともと動物向けの言葉なので、人間に用いる場合は侮蔑的な揶揄を含んだ言葉になる。そのため調教という用語を用いずに
トレーニング、
訓練という言葉を用いることが殆んどである。かつて
行動主義心理学の立場においては刺激と行動を制御しようという考えが盛んであった。そのため信賞必罰を原則として、施行者にとって良い反応であれば、被訓練者に報償を与え、悪い反応であれば罰を与えるという
古典的条件づけを行なうことで人間の行動も制御できるという
S-R連合理論が生み出された。いわゆる
躾(しつけ)も経験則的にこの考えに基づいたものである。
例えば具体的には
羞恥心は誰もがもっているものであるが、その羞恥心によって性の喜びを享受しきれない場合もある。例を挙げるなら緊縛されたり鞭打たれたり
浣腸されたりすることで快感を覚えることが
変態性欲であり、それが異常だと思っている相手を、緊縛や鞭打ち、浣腸(その結果の、他人の眼前での
排泄なども含む)という行為で快感を覚える現実の自分自身を恥じないようにする、そんな一種の教育をSM世界での「調教」と呼ぶ。またあるいは、被虐者が責め手のきびしく淫猥な責めプレイなどに耐えかねて、その羞恥や苦痛、恥辱から脱したい、もしくは周囲の人間に救いを求めたい、などと思いかけた際に、その思いを上まわる快楽やSMプレイへの欲求を被虐者の心身に修得させ、改めてSMの世界に引きずり込むことも、同様の「調教」といえる。